Gut Busters

大腸に食い込む「音」を求めて・・・

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服装について

以前 The B.B. Boogie のライブでライブハウスに向かうとき、リーダーののぶさんが上半身裸なので、「服を着ないのですか?」と尋ねたところ、体中に刺青が入っていて、それが服の役割を果たしているから、このままでいい、と言われた。ホンマか???

しかし、外出をするときは服を着る常識人だった自分も、気がついたら現在は授業を教えるとき以外は、ほとんど裸で外出していることに気がついた・・・。ステテコにランニング。この二着以外は一切来ていない。勿論ステテコの下はノーパン。後はサンダルくらいか?

ここは先進国とはいえ、東南アジアなので、多めに見てもらえてはいると思う。しかし、こんな格好をしているので、99%の確率で現地人と間違われる。現地語はしゃべれないのだが、分かってもらえず、ひたすら分からない言葉でまくしたてられる・・・。もうちょっと重ね着すれば外人だということが分かってもらえるのだろうか・・・。ちなみに日本人に会っても、絶対に気づいてもらえない。やはり身だしなみは大事なんだな、と40歳になって気がついた。
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音楽的な引きこもり

ビートルズとニルヴァーナは似ている。我々現代人はあまりにもビートルズの曲に慣れ過ぎてて気づかないけど、ビートルズの弾き語りなんかをやってみると、あまりにも脈絡のないコード進行にビビる。どこでどうやったらあの発想が生まれるのか全く分からない。そんなアバンギャルドなことをやっておきながらスタンダードになっているんだから、ビートルズと言うバンドは本当に恐ろしい。

今はそんなことないかもしれないけど、90年代に育った我々はあるプレッシャーの中青春時代を過ごした。Led Zeppelinをカッコいい!ということがカッコよかったのである。ツェッペリンの良さが分からないやつはダメ人間、という空気があり、モテたかった自分は随分無理矢理ツェッペリンを聴いた。それより辛かったのはクリームブームである。ジャムることになるとなぜか絶対にSunshine of your loveをやらなければいけない。もっとカッコいい奴はWhite Roomをやる。クリームの良さが全く分からない自分は本当にきつかった。

こうやって書いてみると初めて分かる。自分はメランコリックなヨーロピアンフレーバーの音楽がダメなんだ。こういう音楽を聴いているほうが恰好よかろうが、深かろうが、自分には本当に難しい。聴いているだけで陰鬱な気分になってくるのである。聴いていてモテる音楽はニヒルでメランコリックな音楽、俺は無理だな~。さて、冒頭の話に戻るが、自分は(言うまでもなく)ビートルズもニルヴァーナも聴かないが、この二つのバンドは大衆音楽に決定的な影響を与えたんだろうな、と思う。特にニルヴァーナが出てきた後は、すべての音楽の「フレーバー」が変わってしまった。ニルヴァーナの音楽はもうとんでもないコード進行のオンパレードである。あまりにも前衛的すぎて、自分の耳は今でもニルヴァーナが理解できない。なんというか、ずっと爆音で不協和音に晒されているような感じで、吐きそうになる。でも、カートコバーンは本当に天才だったんだろうな、とは思う。

でも、もっとすごいのはニルヴァーナを「いい!」と思える「大衆」だ。自分から見ると「みんなどんだけ耳が肥えてんだ」と思う。ニルヴァーナという爆発が起こってからというもの、世界の「色」が変わった。ありとあらゆるところが不協和音だらけになって、本当に気が狂うんじゃないか、と思った。特に自分が学生時代のころはミスチルとかスピッツとかブランキーが流行りだして、不協和音のオンパレードにより世界が崩壊していくような気分だった。マジ冗談じゃなく。ライヴハウスはもうみんなブランキー状態で、本当にうつ病ギリギリだった。

例えて言えば、常に船酔い状態。今考えると、そんな時に自分は本当にAC/DCにすがっていて、AC/DCに引き籠っていたなあ、と思う。朝から晩までAC/DC。歩いているときはウォークマン。寝る前はライブのビデオ。ギターのケースはAC/DCのステッカーだらけ。もちろんTシャツはAC/DC。なんというか、「魔除け」のようにAC/DCにすがっていた。いまではAC/DCがきちんと内在化され、自分の中で確固となるものとなったから、AC/DCの引きこもり状態から脱することが出来た。でも今は黒人ブルーズに引き籠っているから同じことか・・・。うーん、進歩がない・・・。

あまりにも過小評価されて誰も考えていないことだと思うけど、ああいう時代の風潮に一矢を報いたのはBuckcherryなんじゃないか、と思う。あの時代の空気の中であそこまでの正統派のロックンロールをやるというのは、もう凄いことだった。例えて言うならば、フルチンで街中を歩くようなもんだ。初めてアルバムを聴いたときの衝撃は忘れないなあ。でも、案の定インタビューでは本当に好きな音楽を貫き通すのが辛かったと言っていた・・・。Buckcherryが出てきてから、少しずつ流れが変わってきて、今じゃだいぶ世界の空気も違ってきた。それにしても誰もBuckcherryの業績と勇気を称えないのは悲しいことだ。という自分もこの記事を書くまではすっかりこのバンドのことを忘れていた。

ビートルズとかニルヴァーナは本当に天才の集団で、彼らは伝統をぶっ壊す達人だった、という感じがする。哲学者で言うならばニーチェ?画家で言うならピカソ?他方で、AC/DCみたいなバンドは細々と伝統工芸品を作り続けるようなバンドなのだ。やっぱりぶっ壊す方が派手で注目されるもんなあ。職人はそこまで注目されないか。どちらにしろ、AC/DCはすごい!そしてBuckcherryもすごい!

Rock or Bust!!!

AC/DCの新譜が出て約一か月経つけど、かなり聴きこんでようやく感想を書いてもいいかな、と思った。我々AC/DCマニアから見ると、これは紛れもない「涙」のアルバムである。マルコムというバンドのエンジンを失ってしまっても、ロックンロールへの愛という名のガソリンを注ぎ込み、走り続けるAC/DCというバンドの真髄を痛感するアルバムである。しかも、その後、これまたバンドの「グルーヴ」には絶対に欠かせないフィルラッドの例の事件が重なったりして、AC/DCは致命傷を負い続けているのである。でも、彼らはロックンロールをやり続ける、と堂々と宣言している。凄すぎる。AC/DCはロックンロールにおいての記録を更新し続ける怪物バンドだ。

さて、アルバムの中身だけど、なんというかほとんど捨て曲なしの素晴らしい出来だ。そして、マルコムがいないからその分気張らなきゃ、というバンドの攻撃的な姿勢が伺える。アンガスなんて、かなり弾きまくっている。前作のBlack Ice, Stiff Upper Lipでは王者の風格というか、心地よい「余裕」が感じられたけど、今回のアルバムは雰囲気が結構違う。AC/DCマニアじゃない人には同じに聴こえると思うけど(笑)。

毎回思うけど、ブライアンジョンソンは世界で一番正当な評価を受けていないものすごいボーカリストじゃないだろうか?あの恐ろしいハイトーンを60代になっても出し続けている秘訣は一体何なんだろう?インタビューでは、「この先も歌い続けるっていうことになるとあのハイトーンはどうやって維持していくのですか?」という質問に対して、「分からない」と答えていた。煙草も吸うし、声には全く気を使ったことがないから、本人でもコンディションの維持の仕方が本当に分からないらしい・・・。

いつも通りの素晴らしいアルバムでいつも度肝を抜かれるAC/DCだけど、最後にマニアならではの細かい意見を書きたいと思う。個人的に(ギタリストとして)AC/DCの凄さを感じていたのは、ギターの「音」だ(こうやって書くと陳腐だなあ)。具体的に言うと、アンガス&マルコムのコンビネーションの音は、とてつもなく「乾いていて」「立体的」なのだ。我々レベルのギタリストがレコーディングとかライブをすると、必ずと言っていいほど、「湿っていて」「つぶれた(平面的な)」音になってしまう・・・。プロのレベルでも、この湿ってつぶれた音はものすごく頻繁に聴く。AC/DCの音の「乾き具合」と「立体性」は宇宙レベルなのだ!

今回のアルバムをシビアに聴くと、立体感がほんのちょっとだけ下がっていることに気づく。と言っても、我々にはとても手の届かない「乾き具合」と「立体性」は見事に保っているのだけど。これでしみじみ思ったのは、「あの音」は紛れもなくアンガスとマルコムという兄弟のコンビネーションが醸し出す音なんだなあ、ということ。でもだから今のAC/DCは劣るんだ、とかは全く思わない(マジで)。マルコムは燃え尽きるまで走り続けて、それで自分の甥にバトンタッチをした。今回のメンバーチェンジは、エゴがどうのこうのとかいう次元ではなくて、燃え尽きるまで転がり続ける、というAC/DCの生き様そのものなのだ。だから今回のアルバムでも堂々たるAC/DCのサウンドは健在なんだろう。やっぱり正に「涙」のアルバムである!

デルタブルーズについて

最近やっとマディー・ウォーターズが聴けるようになってきたけど、マディー・ウォーターズの「アイドル」・サンハウスはだいぶ前に「魂のギター職人Y氏」に紹介してもらった瞬間からすっぽりとハマることが出来た。全てが生々しくて最高なのである。

さて、サンハウスと言えば、ロバートジョンソンの師として有名である。そして、ロバートジョンソンは誰もが認める、ブルーズ、ロック、カントリー、ジャズなど現代の音楽のルーツである。しかし、彼の師がサンハウスならば、サンハウスこそが現代の音楽の大本ということになるのだ!サンハウス達が奏でる「あの辺の」音楽は、今じゃデルタブルーズとしてカテゴライズされているけど、このジャンルがすべての現代の大衆音楽を作ったとすれば、デルタブルーズは厳密には「古代ポップス」とでも呼んだ方が適切なのだろうか?

マディー・ウォーターズなど、あの辺りのブルーズはシカゴブルーズとして分類されている。デルタブルーズが素朴なブルーズとしたら、シカゴブルーズは何やら暗黒に蠢く人間の生々しい息づかいという感じで、僕のようなナイーブな人間はあの濃さを消化するまですごい時間がかかった。しかし、シカゴブルーズの良さが最近分かってきて、デルタブルーズの良さを何倍も感じることが出来るようになった。もっと多くの日本人が「古代ポップス」に触れれば、日本はもっと元気になるはずだ。

デルタブルーズを聴きこんで改めて思ったことを羅列してみたい。

(1)リズムの丈があってない

1,2,3,4,1,2,3,4 という規則的なリズムに慣れきっている我々からすると、デルタブルーズは奇妙に聞こえる。一つの小節が終わったと思っても、まだフレーズが続いているということが非常に多い(気のせい?)。それもプログレみたいに変拍子なのではなくて、「ちょっと間違えちゃったから、もう一回弾いとこう」みたいなニュアンスなのだ。今のレコーディングだったら間違いなくNGになってそうだけど、それが「伝説」の音源として残っちゃっているところがすごい!

(2)レコーディング中のハプニングがそのまま収められている

初期のロックンロールとかのレコーディングとかにもあるけど、このころのレコーディングは文字通り一発録りなので、途中のハプニングも聴ける。自分が一番度肝を抜かれたのは、サンハウスが歌の途中痰が絡まって咳こんじゃうところ。同じようなフレーズが続く歌だから、本人もきつくなったのか?そして、咳き込んでしまったあと、歌が終わる。これは最初から終わる予定だったのか?それとももうきついから途中で切り上げたのか?分からない。

(3)自分の曲のパクり方がすごい

AC/DCは同じような曲ばかりやっている!ってみんな非難するけど、デルタブルーズはAC/DCの比じゃない。同じフレーズでメロディーも同じだけど、タイトルが違う、という曲がある。しかも、驚きなのは、ところどころ歌詞まで他の歌から拝借しているというところ。さすがデルタブルーズ。スケールが違う。こんなことも全然気にせず、堂々と歌っているところは圧巻だ!

AC/DCのアンガスヤングが、あの辺りのブルーズマンは本当に個性的で、度肝を抜くアイデアの宝庫だ!って言ってたけど、本当にそうなんだ、と痛感する毎日です。

マディー・ウォーターズについて

20歳の時、ベスト盤を買ってからずっとマディー・ウォーターズが怖かった。どんな泥臭いブルーズが聴けるのか?と楽しみで、CDを買ったものの、泥臭いどころか、底なしの暗黒泥沼にずぶずぶと沈んでいく感じがして、速攻でCDを止めた。マディー・ウォーターズの「黒さ」は半端なかった。

マディー・ウォーターズと言えば、現代の音楽の歴史には決して欠かすことのできないブルーズマンだ。ローリングストーンズもクラプトンもAC/DCもみんなマディー・ウォーターズの大ファンだ。俺も粋がって聴いてみたけど、とんでもない目に遭って引き返してきた。よくみんなこんなどす黒い音楽を平気で聴けるな、と不思議に思っていた。マディー・ウォーターズがただ単に個人的にダメなのか、もしくはAC/DCのような「本物」はマディー・ウォーターズのようにどす黒い音楽でも消化できるくらいの強靭な精神を持っているのか、かなり困惑した。

例えば、ブラックサバスとかアリスインチェインズとかは、「暗い」。特に後者は、聴いていてものすごい憂鬱な感じになる。でも、これは「暗い」だけなのだ。歌詞が暗い、メロディーが暗い、という感じで「意識的」に作られた暗さである。でも、マディー・ウォーターズの歌詞は暗くもないし、メロディーも普通、でもどす黒いのだ。暗いというより黒い。

もう18年間も経ってしまったけど、驚いたことに、この年になってやっとマディー・ウォーターズが「自然に」いい、と感じるようになった。今じゃ毎日ヘビーローテーションで聴いている。この国に来てからというもの、アフリカ人の友達が出来て、たくさん語り合ったから俺にもアフリカ的な根性がついてきたのだろうか?

改めてマディー・ウォーターズを聴いてみると、本当にいい。それこそまさに大腸に響いてくる音である。小さいころに食べられなかった珍味の良さがやっとわかるようになった感覚だろうか?昔は怖くて覗けなかった暗黒の底には何があるのか?と確かめてみたところ、そこにあったのは純粋な汚れのない「性欲」だった。「オマエの金も料理もいらない!俺はただオマエとやりたいんだ!」(歌詞抜粋)。大腸からの叫びである。

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大腸に食い込むクオーターチョーキングを探求するギタリストです。

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